「見つけた! 見つけた!」

あるいは

「ユリイカ! ユリイカ!」

 

 

 

高 橋 輝 暁

 

立教大学名誉教授

(元RSSC教員) 

 

「ユリイカの会」顧問


 

  いよいよ「ユリイカの会」のホームページが開設された。「学びの情熱」に駆られてこれを「見つけた」シニアのネットサーファーは幸せだ。何しろ「乗り降り自由・乗り換え自由な『学びと集い』のプラットフォーム」(本サイトの「『ユリイカの会』について」参照)を「見つけた」のだから、古代ギリシアの科学者アルキメデス(Archimedes, 287?–212BC)のように、大喜びしてもおかしくない。

 

 シチリア島シラクサの王から王冠が本当に純金かどうかを調べるように命じられたアルキメデスは、湯船につかっているときに浮力の原理に気づき、嬉しさの余り裸のまま町中に飛び出して「ヘウレーカ! ヘウレーカ!」(εὕρηκα/heureka)と叫んで走り回ったという。古代ギリシア語でεὕρηκαは、「私は見つける」という意味の動詞εὑρίσκω(heruriskoヘウリスコー)の現在完了形だから、アルキメデスは「見つけた! 見つけた!」(I have found!)と触れ回ったのだ。古典ギリシア語「ヘウレーカ」から有気音hが省かれて、eurekaとなり、英語訛りで「ユァリーカ」と発音される。それを日本語化したのが「ユリイカ」にほかならない。

 

 アルキメデスが「見つけた」のは、「アルキメデスの原理」だった。シニアのみなさんがここで「見つけた」ウエブサイトは、私に言わせれば「ユートピア」(utopia)だ。「ユートピア」といえば、「どこにもない良い場所」を意味する。トマス・モア(Thomas More, 1478–1535)の「ユートピア」については、「立教セカンドステージ大学同窓会~現役生と修了生のコミュニティサイト~」に「HCD特別寄稿」として掲載の「パンデミック時代のユートピア」(https://rssc-dsk.net/archives/21144)で説明した。要するに、ウエブサイト上の「プラットフォーム」は、リアルな世界には存在しないから、「どこにもない場所」というべきだ。ところが、それは、オンラインでヴァーチャルに存在するだけでなく、「学びの情熱」に応えてくれるから「良い」場所だ。この意味で「ユリイカの会」のウエブサイトも、「どこにもない良い場所」すなわち「ユートピア」として存在する。でも、それだけではない。

 

 西洋の「ユートピア」は、絶海の孤島として表象されるから、「どこにもない」とは「絶対にたどり着けない」ことを意味する。「絶対にたどり着けない」ながらも、あるべき理想社会を構想して、それにもとる現実社会の改革を求めたのが「ユートピア」だ。これに対して東洋には「桃源境」または「桃源郷」がある。それは、古代中国の六朝時代にのどかな田園生活や隠者の心境を詠った作品で名高い陶淵明(365–427)の名文『桃花源記』に基づく。川をさかのぼって花咲く桃林の奥、山の小さな洞穴をくぐり抜けた先に開けた山里では、子どもたちから老人まで、男も女も平和な田園生活を満喫している。東洋の理想郷は、絶海の孤島ではなく、実際に漁夫が一度は訪れた山里だから、「どこにもない」わけではあるまい。ところが、その漁夫が「桃源境」で歓待を受けた後、いったん帰宅、役人を連れて再訪しようとすると、目印を付けておいたにもかかわらず、ルートがわからず、二度とたどり着けなかったという。

 

 同じ理想郷でも、「ユートピア」は「どこにもない」けれど、理想社会の鏡として、現在の私たちが生きる世界の変革のために指針を与えてくれる。これに対して「桃源境」には、少なくとも一度は行けるけれども、ひとたび私たちの世界に帰ってしまったら、再びそこにたどり着くことは不可能、それは現実の社会に何らの影響も与えない。「桃源境」は、現実社会を離れて隠遁生活に身を委ねるための至福の世界で、欲に突き動かされた俗世からの干渉を許さないのだ。それは、41歳で官職を辞して田園に閑居した陶淵明が詠う「晴耕雨読」の境地に重なる。

 

 この洋の東西をそれぞれ代表するいずれの理想郷と比べても、引けを取らないどころか、さらにそれらを超える理想郷が、「ユリイカの会」の「乗り降り自由・乗り換え自由な『学びと集い』のプラットフォーム」にほかならない。「乗り降り自由・乗り換え自由」というのだから、この理想郷は、いつでも何度でも、私たちが生きる現世との間で行き来ができて、「学びの情熱」に応えてくれる。こんな「どこにもない良い場所」があるなんて、素晴らしいではないか。

 

 西洋の「ユートピア」へは、大きな帆船(上掲の「パンデミック時代のユートピア」に添付の図版参照)に乗って行くらしいけれど、荒海をどこまで航海しても、たどり着かないのだろう。漁夫の操る小舟で川をさかのぼれば到達できるはずの「桃源境」へのルートは、陶淵明から1500年以上を経た今日まで不明だ。ところが、「ユリイカの会」の「プラットフォーム」には、ネットのサーフィンに乗ってあっという間に到着する。こんな21世紀版オンライン「ユートピア」を発見したのだから、アルキメデスならずとも、「ヘウレーカ! ヘウレーカ!」と触れて回らずにいられようか。いや、私たちなら日本語で「見つけた! 見つけた!」かな? いやいや「ユリイカ! ユリイカ!」でしょう。